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元軍医による被爆手記、幻の名著、増補復刊!

肥田舜太郎
〔増補新版〕
広島の消えた日
――被爆軍医の証言


2010年4月刊
四六判上製220頁
定価 1700円+税
ISBN978-4-87714-403-6


●目次
●書評
●編集部より
●関連書



後64年にわたって6千名を超える被爆者の診察・治療に携り、今なお放射能の内部被曝の危険性を追究し続ける元軍医である著者が、精神主義のはびこる戦争末期の軍内部の状況と、広島での原爆被爆・救援体験を克明に綴った第一級の証言手記、待望の復刊(旧版:1982年、日中出版刊)。新版発行に際し、放射線障害や差別に苦しむ戦後の被爆者たちの苦難や、“被爆医師”としての自らの歩み、平和への願いを新たに書き下ろした「被爆者たちの戦後」(約40頁)を増補。


〈著者略歴〉
肥田舜太郎
(ひだ・しゅんたろう)

1917年、広島市生まれ。1943年、日本大学専門部医学科卒業。1945年8月6日、原爆被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、2009年の引退まで被爆者の診察を続ける。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計30数カ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語りつつ、核兵器廃絶を訴える。またこの間、アメリカの低線量放射線被曝に関する研究書等を翻訳、普及に努め、内部被曝の脅威を訴え続ける。

著書  『広島の消えた日』(初版:日中出版、1982年)、『ヒロシマ・ナガサキを世界へ』(あけび書房、1991年)、『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房、2004年)、『内部被曝の脅威』(鎌仲ひとみとの共著、ちくま新書、2005年)
訳書  『死にすぎた赤ん坊』(E・J・スターングラス著、時事通信社、1978年)、『放射線の衝撃』(D・W・ボードマン著、自費、1991年/08年よりPKO法「雑則」を広める会発行)、『死にいたる虚構』(J・M・グールド著、斎藤紀との共著、自費、1994年/08年よりPKO法「雑則」を広める会発行)、『内部の敵』(J・M・グールド著、高草木博らとの共著、自費、1999年)

(本書刊行時点)






◆『広島の消えた日―被爆軍医の証言』目次◆

まえがき
第一章 破局に向かう日々―広島陸軍病院にて
 銃なき軍隊
 苦闘する四台の培養器
 往くもの、送るもの
 一つの「いのち」
 防空演習と「相良少佐」の死
 一人の軍医の誕生
 対戦車肉薄攻撃
 いのちがけの遺言

第二章 広島の消えた日
 見よ! 広島に紅蓮の火柱が立つ
 見よ! 一望の焼け野原
 地獄からの出発
   *
〔旧版〕あとがき
被爆者たちの戦後―新版へのあとがきにかえて
著者略年譜







書 評






● 「北海道新聞」2010年5月23日


  被爆者と向き合う医師

  
評者=高瀬 毅(フリージャーナリスト)

 タイトルだけ見ると、誰もが全編被爆の話が綴られていると思うだろう。だが、ページをめくると、よい意味で裏切られる。

 前半は原爆投下の以前、軍医として赴任した広島陸軍病院での話が中心だ。精神主義がはびこる軍隊の中で、職業人としての責任を果たそうとする著者の行動が描かれる。そこに、曇りのない目で状況をみつめていた若く聡明な少尉が現れ、「一貫して貫くものなし」と痛烈に批判される。著者は少尉を尊敬し、友情を感じながらも、止めようのない巨大な力に押し流されていく。

 やがて破局がやってくる。破壊された広島の町とおびただしい死者。被爆の脅威はそれで収まりはしなかった。瀕死の重傷を負いながらも奇跡的に回復した若い夫婦が、故郷に帰る日、著者に挨拶に来る。部屋を出ようとしたそのとき、夫が血を吐いて倒れた。取りすがって泣く妻の涙にも血の色が混じる。髪の毛が抜け始めた。翌朝、二人はほぼ同時に息絶えた。

 次々に起こる凄絶な死。それを抑制の効いた筆致で畳み掛けるように描写していく。放射能が体内に取り込まれた「内部被曝」の脅威が息苦しいほどに伝わってくる。

 このときの体験は、医師としての進路を決定付け、戦後、著者をして被爆者医療と支援に向かわせる。医療活動から引退した昨年までにかかわった被爆者は6千人を超える。

 本書は、1982年に手記として出した旧版に加筆、新版として復刊した。「被爆者がどのように生き、どのように死んだか。そのいのちに触れて一人の医師が何を教えられたかを書き加え、新たな命を吹き込まれた。」

 現在93歳。著者みずから言うように、「ヒロシマ」とその前後を生きてきた一人の医師、一人の人間の魂の記録にもなっている。後半の被爆の話と併せた二部構成の妙味が読み通してみてわかる。表現上、やや創作的な部分があるものの、若き日に出会った少尉が還らなかったことも深い余韻となって胸に残った。





● 「影書房通信」No.30 2010年8月15日

  最新の知見も増補された、今最も読むべき一冊

  
評者=竹野内真理
(フリーライター、通翻訳者)

 『広島の消えた日』は、私たちがいかに広島についていまだに無知であるかを知らしめてくれる本である。本書は第一章、第二章、あとがきの三部からなる。一章では、原爆投下以前の筆者の軍医としての広島での日々が描かれている。鋭い感受性を持った才気溢れる若者が、理不尽の極みと言える戦時下で、何を考え、いかに行動していたかが、個人的な体験を通して鮮やかに再現されている。著者の心の中での独白や同僚とのやり取りを読むと、数ある戦争を素材にした書籍の中でも、これほどまでに複雑で細やかな心理描写がなされた作品があろうかと思うほど見事なものであり、第二章の原爆投下の実体験との相乗効果で一層の迫力と余韻を残している。広島や長崎といった原爆ものというジャンルに囚われず、純粋な文学作品としても一読をお勧めしたい個所だ。

 二章は、原爆投下と想像を絶する過酷な被爆者の姿と直後からの壮絶な被爆者救援治療が、抑えた筆致で描かれている。原爆投下前夜に、急患のため、市内から離れた郊外に往診に行き、奇跡的に一命を取り留めた著者は、投下直後から被爆者の救援活動を行う。広島の地獄絵図は、何もここで改めて紹介するまでもないが、その後に遭遇した患者の放射能急性障害が、著者の人生を大きく変える。妻との再会を喜び、命を取り留めたかに見えた患者が突然出血し絶命する。遺体にすがる妻の涙も文字どおり血の色に変わり後を追う。後から広島に救援に来た者も急性放射能障害で死んでいく。直爆を免れた人々のこのような悲劇は、当時の著者には全く理解ができないでいるが、志半ばにして死んでいった同僚を想い、原爆への怒りを胸に生き抜くことを誓う。

 最後の三十数ページのあとがきは、著者のその後の生き様の集大成ともいうべきもので、まさに圧巻である。九十二歳で医師を退職するまで、六千名を超える被爆者を診察した被爆医師。自らも被爆者であるがため、被爆者から受けた様々な相談の中には、身体的障害はもちろんのこと、差別から結婚をあきらめたり、家族と絶縁した者、餓死したり自殺してしまった者、行く当てもなく売春をしたり、原発ジプシーとして働いている被爆者もいたという。被爆者のその後の人生の話を読むと、いまさらながら原爆被害はただの数字ではなく、個々の人間とその家族の生活や将来を蝕むことを思い知らされ、その残忍性に身震いする。

 さらに著者は、多忙な医師の仕事の合間を縫って国内外で半世紀以上精力的に活動を行い、米国の放射線専門家、臨床医、統計学者などとの交流を通じ、被曝関連の書籍を何冊も翻訳している。そのため、あとがきには放射線の危険に関する科学的知見も凝縮して書かれてある。自国内で核実験を数多く行い、多く核施設を持つ米国には、広島と同じ「ぶらぶら病」に罹ってしまった被爆兵士もいる。核兵器は使わなければ良いというのではなく、核施設や原発があるだけで、内部被曝、つまり放射性微粒子を体内に取り込むことによるリスクが生じる。特に、低線量であっても細胞膜に大きな障害を引き起こす「ペトカウ効果」の理論を著者は強調している。米国では核実験や原発の事故等による乳幼児の死亡率の増加や、原発周辺住民の乳がん死亡率の上昇が報告されているという。ただし政府も原子力業界も過小評価しているので、内部被曝の危険性は一般には知れわたっていない。そして、このような被曝に関する重大問題が、被爆国日本国内ではほとんど議論されていない。

 本書は一流の文学作品であり、ジャーナリズムであり、警告の書でもある。本書が、一般の読者はもちろんのこと、ひとりでも多くの医療関係者、教育関係者、報道関係者、そして未来を担う若い人たちに読まれることを望みたい。






● 「新文化」2010年5月13日 「ウチのイチ押し」

  被爆軍医の貴重な証言を再刊

 戦後65年の今、原爆投下は戦争終結のため仕方なかったという考え方が、アメリカばかりか日本でも広がっている。だからこそ唯一の被爆国として繰り返し事実を語り継ぎ、記憶を消さない努力が、時を経るにつれいっそう必要なのである。

 影書房が4月1日に再刊した『広島の消えた日 被爆軍医の証言』は、その貴重な現場証言であり資料でもある書。旧版は1982年に日中出版から刊行され、その後絶版となっていた。当時軍医として広島陸軍病院に赴任中だった著者は、投下後の惨状のなかで負傷者の治療に奔走。戦後も、後遺症や貧困・差別に苦しむ多くの被爆者の診療を続けた。

 再刊は、これまでにも映像作家、鎌仲ひとみ氏の「ヒバクシャ」(06年刊)などを刊行してきた同社の編集者、松浦弘幸氏が、ある勉強会でこの作品を知ったのがきっかけ。プロの書き手にも劣らぬ文章力・描写力で描かれた、詳しくリアルな内容に感銘を受けて再刊を打診。しかしすぐに著者の許諾が得られなかったのには、ある事情があった。最終節に故意に日時を変えた部分があるのを、著者自身が気にしていたのだ。そのため、その部分についても言及した「被爆者たちの戦後」と題する書き下ろしの一文と、著者の年譜を巻末に付し、増補新版として刊行した。

 2章から成る本書の第一章では、軍人でありながら、戦争に対する疑念を持ち、上官や軍の理不尽さに憤りを覚える著者の内面の葛藤や、忘れえぬ人々との出会いが、敗色色濃い戦時下の緊迫感の中で描かれる。この部分があることで、第二章の原爆投下、直後の地獄絵図と混乱、その後の人々の苦しみとそれに寄り添う著者の生き方に、より強い印象を受ける。ノンフィクションとしても読み応えのあるすぐれた作品だ。

 原爆の語り部として国内外で講演を行ない、アメリカで稀少な内部被曝研究者の論文の翻訳を手がけるなど、幅広い活動を続ける肥田氏。93歳を迎えた今もなお、反核の強い意志は健在である。

 [編集担当より一言] 「なぜ日本は無残な敗北へと邁進したのか、落とす必要のなかった原爆を、アメリカはなぜ落としたのか、原爆の恐ろしさの本質とは何か――自らも被爆し、戦後も被爆者を診療し続けた医師である著者の稀有な体験と言葉は、いまだ核の抑止力に依存する世界への警鐘。核廃絶の機運が高まる今、日本のみならず、世界中の人に読んでほしいと願う一冊です。」






●「ふぇみん」 2010.6.5


 広島で自らも被爆し、その直後から昨年まで64年間、医師として被爆者の診察・治療にあたるほか、世界30カ国余で被爆の証言活動を行い核廃絶を訴えてきた著者。本書は配色が色濃い中、広島陸軍病院での軍医としての日々と、原爆の恐るべき実相をつづった手記(旧版1982年)の増補新版だ。

 核不拡散条約(NPT)再検討会議でも期限を明記した「核兵器廃絶」はの道のりが険しい。著者の手記は「核の恐ろしさ」という、ともすれば「概念」となりがちな言葉を私たちの五感にくっきりと浮かび上がらせる。そして「核は持っても危険」という原点に返ることができる。それは直接被爆していないのに、その後に放射線を吸い込み「低量放射線被曝」で体を蝕まれて死んだ多くの人たちを見送り、研究を重ねた著者の結論だ。増補の「被爆者たちの戦後」では、GHQと日本政府による遺棄、差別、貧困、死と隣合わせで生きる被爆者たちが語られる。今まさに読まれたい一冊。(登)





● 「原子力資料情報室通信」No.432(2010.06.01)

 軍医中尉として広島陸軍病院に赴任中に被爆、直後から治療にあたり、以後約6000人以上の被爆者を診察・治療してきた著者が、敗戦の破局にいたるまでの病院での日々や、原爆被害のすさまじい状況を克明に綴った証言手記の復刊である(旧版は1982年、日中出版刊)。

 戦後の混乱期、GHQ占領下で被爆者たちはどのように生きてきたか、「被爆者たちの戦後」が新たに書き下ろされている。原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、肥田さんが翻訳し自費出版された訳書が原告勝訴を引き出さす大きな力となった。






●「自然と人間」2010年5月号


 (前略)軍医・肥田舜太郎氏の原爆体験。その克明な証言の書が、「被爆者たちの戦後」という長文を書き加えて復刊した。原爆投下直後の凄惨さも衝撃的だが、その後、原因もわからずなすすべもなく死なせていった患者たちに、医師である著者は悔恨を持ち続けたという。著者が弾劾する、被爆者たちへの理不尽な仕打ちは、日米政府のものばかりでなく一般の日本人によるものでもあったことを記憶にとどめるべきである。









[編集部より]



 本書は、今年(2010年)93歳になる元軍医・肥田舜太郎医師が、敗戦の破局へいたるまでの広島陸軍病院での日々や、8月6日の原爆被爆、その破壊のすさまじい状況、被爆後の壮絶な救援活動等を、克明に綴った証言手記の復刊です(旧版は1982年、日中出版刊)。増補として「被爆者たちの戦後」(約40頁)を書き下ろしていただきました。

 本書前半の軍隊・軍医時代の記述は、極めて鮮明かつ詳細であり、あたかも小説を読むかのように、ありありと当時の情景が目に浮かびます。

 医師を志して医学校に学ぶが、配属将校と衝突し、ある日突然の赤紙召集。そして岐阜第六八連隊に一兵卒として送り込まれ、死者も出るような厳しい訓練に耐える日々が続くが、ある事件がきっかけで再び軍医学校へと戻される。そして広島陸軍病院に軍医として配属され、被爆――。

 そこには人間を非人間化し単なる肉弾へと仕立ててゆく尋常ならざる軍事教練の体験や、軍隊組織の不合理さ、自身の人生の劇的な展開、得がたい人間との出会いなどが、完成された文体で描かれています。

 後半部分は、この8月6日の被爆体験と、その後の被爆者への治療・救援活動の記録等にあてられています。たまたま前夜に約6キロ離れた戸坂村へ往診に出向き、そこで8月6日をむかえた著者は、奇跡的に直爆を免れます。著者はその目で原爆が炸裂する一部始終を目撃しますが、爆風で吹き飛ばされると同時に、世界は「地獄」へと転換されていました。

 きのこ雲の下で何が起きていたか――ここで記されている証言は、人類にとっての遺産であるといっても過言ではないと思われます。

 原爆の真の恐ろしさが世界に伝わっているとはとても言い難い状況がある一方で、生き残った被爆者たちの高齢化が進むと同時に原爆の記憶の風化も日ごとに進行していると言われています。原爆の被害と放射能の恐ろしさを語り継ぐ証言は、人類が何度でも繰り返し立ち戻って読み返すことができる形で残したいものです。本書は、そういった意味でも、優れた証言の記録であり、また広い意味での「原爆文学」であり、「古典」とすべき作品であると思われます。

 肥田医師は戦後も、貧困と差別に苦しむ被爆者たちに親身に寄り添いながら、「被爆者外来」を設けて診療を続けてこられました。また欧米の内部被ばく研究の書籍を翻訳、自費で出版・普及するなど、一貫して被爆者のため、被ばくの実相究明のため、そして「核のない世界」を実現するために生涯を傾けてこられました。

 このたびの復刊に際して、その稀有な戦後の体験を、「被爆者たちの戦後」と題して新たに書き下ろして頂きました。

 そこには、原爆で全ての身寄りを失い、ニコヨン労働者として働きつつも、放射能障害が悪化し、「鶏小屋」の中でひっそりと最期をむかえた男性のこと、嫁ぎ先の農家で「ぶらぶら病」のため期待通りに働けず追い出され、夜の街に辿りつかざるをえなかった少女のこと、差別と貧困の中で自死を選ばざるをえなかった人たちの例など、言葉を失うような被爆者たちの苦難が描かれています。

 そうした被爆者たちの無念の声を刻むとともに、原水爆のみならず、あらゆる原子力施設から放出される放射能の内部被ばくの危険性に言及した本書は、まさに今こそ読まれるべき本ではないかと確信しています。

  2010年4月 影書房 編集部









◆関連書◆

 『時代と記憶――メディア・朝鮮・ヒロシマ』 平岡 敬 著

 『無援の海峡――ヒロシマの声、被爆朝鮮人声』 平岡 敬 著

 『隠して核武装する日本』 槌田敦・藤田祐幸他 著、核開発に反対する会 編

 『ヒバクシャ――ドキュメンタリー映画の現場から』 鎌仲ひとみ 著

 『六ヶ所村ラプソディー――ドキュメンタリー現在進行形』 鎌仲ひとみ 著

『暗闇の思想を/明神の小さな海岸にて』 松下竜一 著

 『六ヶ所村 ふるさとを吹く風』 菊川慶子 著


 『市民電力会社をつくろう!――自然エネルギーで地域の自立と再生を』 小坂正則 著