国策・核燃再処理工場と対峙しつづけた20年の軌跡

菊川慶子
六ヶ所村 ふるさとを吹く風



2010年9月刊
四六判並製243頁
定価 1700円+税
ISBN978-4-87714-409-8


●目次
●書評
●編集部より

●関連書



や空に大量の放射能をばらまく「核燃再処理工場」はどうして必要なのか? 「普通の主婦」だった著者は、チェルノブイリの衝撃から故郷・六ヶ所村へUターン。「故郷を放射能で汚されたくない」という思いから、チューリップの無農薬栽培で事業を起こし、国策・核燃再処理工場と対峙し続けてきた。
故郷の村が「核燃城下町」となってしまった今も、ルバーブ・ジャム工場で雇用創出にチャレンジし、「核燃に頼らない村づくり」と持続可能な未来を求め、実践的な活動を続けている。
映画『六ヶ所村ラプソディー』にも登場し、その生き方が多くの人々の共感を呼んだ著者初の書き下ろし奮闘記!


〈著者略歴〉
菊川慶子(きくかわ・けいこ)
1948年、青森県生まれ。
1964年、集団就職で東京へ。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故に衝撃を受け、原発問題に関心をもつようになる。
六ヶ所村に建設が予定されている再処理工場から排出される放射能でふるさとが汚染されてしまうという危機感から、帰郷を決意。
1990年、六ヶ所村へ帰郷。以後、六ヶ所村核燃サイクル基地の建設・稼動中止をもとめて、地元住民として粘り強く運動を続ける。
1993年、農場「花とハーブの里」を設立。年に一度のチューリップまつりの開催やルバーブジャム工場の運営等を通じて、「核燃に頼らない村づくり」にチャレンジしている。
2006年公開の映画『六ヶ所村ラプソディー』(鎌仲ひとみ監督)に主要人物の一人として登場し、その生き方は多くの人々の共感を呼んだ。
合同会社「花とハーブの里」代表。
◎花とハーブの里 連絡先:〒039-3215 青森県上北郡六ヶ所村倉内笹崎1521
TEL&FAX:0175-74-2522  ホームページ:http://hanatoherb.jp/

(本書刊行時点)





◆『六ヶ所村 ふるさとを吹く風』目次◆

プロローグ
T ふるさと六ヶ所村/離郷
  六ヶ所という村/「巨大開発」の歴史/「原子力半島」へ/六ヶ所村のいま/
  幼少時代の六ヶ所村/開拓時代の話/三沢の親戚へ/集団就職――東京へ/
  東京での暮らし/結婚、そして出産/暗転/再出発/たまの帰省/奪われ、破壊された村
U チェルノブイリ/帰郷
  田舎暮らしへ/帰郷の決意/農業者としての引継ぎ/帰郷したころの六ヶ所村
V 運動経験――仲間たちと
  初めて集会へ/反核燃情報誌「うつぎ」の発刊/情報誌「うつぎ」より(1)/
  「花とハーブの里」設立と「牛小舎」/情報誌「うつぎ」より(2)
W 運動と家族と
  父と母との最期の時間/帰郷してからの子どもたち/夫は
X 出会い――しなやかに抵抗する人々
  出会い/すてきな女性たち/先行世代の運動者たち
Y 『六ヶ所村ラプソディー』旋風
  鎌仲ひとみ監督との出会い/映画完成――押し寄せる人々/地元の支援者たち
Z 「牛小舎」春秋
  「牛小舎」の冬/日々のきびしい労働の中で/公安/花と歌と阻止線と/「逮捕」の周辺/
  古靴作戦/村の選挙/近所づきあい/「牛小舎」から「スローカフェぱらむ」へ/贅沢な休息
[ 再処理工場、稼働
  ウラン試験開始/頻発するトラブル――試運転終わらず/核のゴミ/
  回収できるのにばらまかれる放射能/放射能は少量でも危険/防災対策は/
  大規模な事故とその隠蔽/日々被ばくの危険に晒される労働者/海に流される放射能/
  空へ放出される放射能
エピローグ――未来へ
  「農」に生きる日々の生活/地元の雇用創出を目指して/本当の敵はだれ?/
  「自立」して生きるとは/“持続可能”な生き方を選べるのが「田舎」/これからの運動/
  「花の森」で/「ハチドリのひとしずく」のように
     *
付1 再処理工場から放出される放射能と予想される被ばく
付2 六ヶ所再処理工場 最終試験開始後のトラブル等年表
     *
あとがき







書 評




● 『社会評論』 2010年秋号

 六ヶ所村に「核のゴミ」を押し付けるな
                                         中村泰子
(HOWS受講生)

 いのちを壊す放射能を膨大にまき散らす六ヶ所再処理工場。存在そのものが悪である。菊川慶子さんは勘の鋭い人だ。敏感にその正体を見抜いたのだろう。本書は、菊川さんの核燃料サイクル施設反対運動奮闘記だ。ふるさとを放射能で汚染されたくないという一心で、1990年、千葉県松戸市から故郷の青森県六ヶ所村にUターンし、核燃反対運動に突き進んだ。きっかけは、1986年のチェルノブイリ原発事故だった。何が大切かをつかんでいる人だからこそ、何を差し置いても行動を起こすしかなかったのだ。非妥協的な生き方だ。素晴らしいと思う。

 再処理工場とは、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す施設で、核燃料サイクル政策の要である。そもそも目的が核武装であり、動機が野蛮だ。存在理由を持たせるためには、ウソで固めるしかない。政府は、エネルギーの安定供給・豊かな生活、CO2を出さないクリーンエネルギーなどというウソで塗り固めて、疫病神を救いの神に仕立て上げた。

 菊川さんを反対運動に駆り立てたチェルノブイリ原発事故といえども、多くの日本人は(自分も含め)のど元過ぎれば熱さ忘れるで、政府、電力会社のいう「日本では原発事故はありえない」などという真っ赤なウソにだまされてきた。「国策には従え」とばかりに、札束攻勢で地元住民を黙らせ、分断し、菊川さんたちの反対運動は常に少数派に押し込められてきた。「六ヶ所村は決して『放射能のゴミ捨て場』ではないのです。都会で使う電気のために、なぜこの村が犠牲にならなければならないのでしょう」と菊川さんは書いている。六ヶ所村に放射能のゴミを押し付けながら、それに気づいていない人が多すぎると訴えている。

 これは、沖縄に米軍基地を押し付けながら平然としている多くの日本人、という構図と同じだ。基地にしても、核施設にしても、利権関係者の利益のために、すべては動かされている。「かけがえのないふるさとを守りたい」から出発した菊川さんの農園「花とハーブの里」は、いまや全国の核燃反対運動の拠点になっている。本書は、原発・核燃料サイクル問題は、決して立地だけの問題ではなく、日本全体の問題ではないか、永遠に残る猛毒の「核のゴミ」を増やし続けるのは子孫に対する犯罪行為と自覚すべきではないかと、問いかけている。

 鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディー」に出ていた菊川さんは笑顔が素敵で、控えめだが芯が強く、反対運動が広がらなくても決して諦めない人と、とても印象深かった。本書を読むと、それにも増して、ただならぬものが伝わってくる。

 菊川さんの祖父と両親は戦後サハリンから引き揚げ六ヶ所村に入植した。開拓生活は過酷で、金銭的にも窮していたが、「むつ小川原開発」で土地が高く売れ一息つけた。菊川さんは中学卒業後、東京へ集団就職。最初の職場で、工員のタイムカードが二重になってることに疑問をもち、一人で労働基準監督署に話しに行って社長を激怒させ、即クビということもあった。結婚、出産、そして離婚。再婚して二児を出産。帰郷するまでは普通の主婦だった。

 チェルノブイリ原発事故に衝撃を受け、勉強するうちに、両親には天の恵みだった「むつ小川原開発」 の土地売買が、実は村内の激しい反対運動を経て、札束攻勢で切り崩された結果だったことを知る。1969年の「むつ小川原開発」始動以前から1984年の「むつ小川原開発核燃料サイクル基地建設構想」が示されるまで、下北半島を原子力半島化することは隠されていた。つまり「むつ小川原開発」は、再処理工場建設用地取得のための壮大な芝居にすぎなかったとも考えられる。

 帰郷後、菊川さんは、反核燃情報誌「うつぎ」の発刊、「花とハーブの里」の設立とそこでの「チューリップまつり」の開催、団結小屋としての「牛小舎」の開設などとともに、数々の抗議集会、座り込み、デモ、変わったところでは、全国から寄せられた古靴を並べて核廃棄物の搬入を阻止する古靴作戦など、あらゆる手段を使っての抗議行動に参加した。「二四時間すべてが運動という中で、母親としての仕事も重なって、ついて行けず、精神的に追い詰められたこともあります。」「父を送り、母を送り、夫を送って、その看取りの間も葬儀の間も、悲しみに浸る時間をとることができませんでした。」と述べられている。家族との暮らしも犠牲にせざるをえない、まさに命がけの闘いであることがうかがえる。

 再処理工場は、これまで二兆二千億円という巨費をかけてきたが、ガラス固化技術が未完成で、現在、停止している。止まっていても安心できない。絶えず冷却しないと爆発する危険な高レベル放射性廃液が、貯蔵タンクに240立方メートルも溜まっている。もし地震などで冷却装置が停止すると、大爆発を起こし、日本全土が終わりになる。菊川さんが日本原燃にその点を問い合わせたところ、「そういう場合は想定していません」「だいじょうぶです」「ありえません」というばかりだったという。

 直下に活断層が走り、止まっていても動いていても超危険な再処理工場に、日本人は命を預けていることになる。「再処理工場が止まるか、私の力が尽きるか、どちらが先か際どいところです」という言葉を、菊川さんだけに言わせていてはいけない。






● 『出版ニュース』 2010.10月下旬号

 〈私が「反核燃」の運動に関わり始めたのは40歳を過ぎてからでした〉〈子どものころに遊んだ六ヶ所村の山や川は、私の心の中の大切な原風景です〉〈かけがえのないふるさとを放射能で汚染されたくない。この地でいつまでも普通の生活を送りたい〉青森県六ヶ所核燃サイクル基地の建設・稼動中止をめぐって「放射能のゴミ捨て場にするな」と住民たちの闘いが粘り強く展開された。著者は、集団就職で東京に出たあと1990年に故郷の六ヶ所村へ帰郷、以降地元住民として運動に加わる。本書は自身の足跡を振り返り、巨大開発と「原子力半島」に向かう六ヶ所村の歴史を追う。運動と家族、運動を通じて出会った女たち、先行世代の活動家、映画監督・鎌仲ひとみと『六ヶ所村ラプソディー』の完成、農場「花とハーブの里」の試みと日々の労働、自立して生きることなど運動と生活を結び持続可能な未来のあり方へ、ヒントが提示される。





● 『原子力資料情報室通信』436 2010.10.1

 映画『六ヶ所村ラプソディー』に登場し、核燃に頼らない生き方を実践する象徴的な存在になった菊川さん。自身が幼少のころから運動を手探りで始めた初期、現在に至るまでを振り返る初の書き下ろし。運動と家族関係の話など、今までのインタビューや講演では聞くことのなかった話はずっしりと重いが、さらに共感を深める人も多いだろう。全国の「しなやかに抵抗する」人々の紹介も面白い。著者の歩みとともに下北が巨大開発に巻き込まれ、核燃城下町となっていく過程、選挙や廃棄物搬入など「国策」の歴史も、しっかりと復習できるオススメの本。





●共同通信配信 『中國新聞』(9/19)、『信濃毎日新聞』 (9/26)掲載、他

 青森県六ヶ所村で長年、「核燃反対運動」に身を投じてきた主婦の半生記。
 同村はまさに国策に翻弄されてきた。農地をつぶして進められた巨大コンビナート構想が挫折したあと、その地に核燃料サイクル施設が建ち、村は「核燃城下町」と化した。集団就職で上京していた著者は、チェルノブイリ原発事故を機に「かけがえのないふるさとを放射能で汚されたくない」と帰郷。反対運動の先頭に立ち、「核燃に頼らない村づくり」を目指してきた。
 著者の人生を通じて、国策のもたらしたひずみが見えてくるようだ。






● 『ふぇみん』 (2010.10.25)
http://www.jca.apc.org/femin/book/20101025.html

 処理工場など核燃サイクル施設の集まる六ヶ所村。
 その六ヶ所村に菊川さんが帰郷したのは20年前。チェルノブイリ事故がきっかけだった。 この本は彼女にとっては初めての「運動」だった核燃反対の経験や、その中での両親、夫、子どもたちのことなど私的な苦労も抱えながらの今までを率直に語ったもの。たたかいの中で得た多くの人たちとの出会いももちろんだが、彼女の強い意志がなくては今日はなかったこと、特に女性ならではの苦労とそれを乗り越える力に感動した。
 現在菊川さんのつくった「花とハーブの里」には、若い人たちが集まり、チューリップ畑、無農薬のルバーブジャム作り、果樹園などと彼女の夢を実現させようとしている。 しかしあとがきにある「日本の原子力政策が変わらない限り、いいえ原子力政策が変わっても核のゴミは残り続ける…」の言葉が重く残る。(泰)










[編集部より]



 六ヶ所村の核燃反対運動の、いまでは地元で唯一となった拠点「牛小舎」を提供しながら、全国の仲間と20年にわたり再処理工場の建設・稼動中止を求めて闘ってこられた菊川慶子さん。 鎌仲ひとみ監督の映画『六ヶ所村ラプソディー』にも主要人物の一人として登場し、その穏やかな外見からは想像もつかない意志の強さ、信念に貫かれた生き方が多くの人々の共感を呼んで、老若男女が六ヶ所村の菊川さんを訪れるようになりました。

 本書は、菊川さんの幼少時代、村が子どもたちの楽園だった頃の回想や、サハリンで育った祖父や父母の思い出、家族への思いなどを織り込みながら、また六ヶ所村が「むつ小川原開発」と「核燃」という二つの国策に翻弄され続けてきた歴史を概観しながら、20年にわたる核燃との闘いの記録と、希望としての六ヶ所村の未来像が、やわらかな文体で綴られています。

 核燃料サイクル計画という国策に対峙する少数の個人の闘いは、まさに重戦車に素手で挑むようなものだったろうことは想像に難くありません。本書の読者は、「ふるさとを放射能で汚されたくない」という素朴な思いから始まった闘いが、菊川さんという個人に強いた犠牲の大きさについて、思いを馳せざるをえないでしょう。

 それは「連戦連敗」の歴史であり、決してヒロイックな闘いとはいえませんでした。ですが、そんなささやかな抵抗の火を灯し続けた結果、気づきや励ましを得て、国のエネルギー政策=原子力推進政策に疑問を抱き、自らの主体的責任で動き始める市民が、少しずつ、今現在も、日本各地に生まれ続けていることも、また事実です。

 中学を卒業してから集団就職で東京に出てきた菊川さんは大学入試を目指しつつも挫折、結婚して平穏な生活を送っていた1986年、あのチェルノブイリ事故が起きます。その衝撃から、90年に家族とともに六ヶ所村にUターン、故郷を放射能汚染から守るため反核燃運動に邁進して行くことになります。

 そして93年には自然農園「花とハーブの里」を開設して、「核燃マネー」に頼らずに生きていく道を模索し続けてきました。試行錯誤を重ねて有機無農薬のチューリップを育て、いまでは6万本の花を咲かせて開催されるチューリップまつりは、地元の風物詩といわれるまでになりました。

 また、核燃の事業主・日本原燃に異議申し立てができるような人材を一人でも増やしたい、そのためにも地元の雇用を少しでも増やそうと、ルバーブやブルーベリーを無農薬で育て、ジャム工場を造るなどして、ついに今年(2010年)は地元の女性3人を雇うという「快挙」を達成できたそうです。

 六ヶ所村は、いまでは「核燃反対」の声を上げること自体が困難な、名実ともに「核燃城下町」と化してしまいましたが、「核燃に頼らない村づくり」を掲げた菊川さんの日々のユニークなチャレンジは、都会に生活する人々の日常を問い、本当の豊かさとは何か、を考えさせてくれます。

 折から「再処理工場の完工2年延期、4千億円増資」の報が届きました。客観的に見ても、技術力を結集しいくら巨費を投じてもまともに動かすことのできない「放射能ばらまき工場」=再処理工場については、根本的に見直すべき時期に来ているのではないでしょうか。今がその好機ではないかと思われます。
                                    
2010年9月 影書房 編集部


◆関連書◆


 『六ヶ所村ラプソディー――ドキュメンタリー現在進行形』 鎌仲ひとみ 著

 『脱原発で住みたいまちをつくる宣言 首長篇』 井戸川克隆、村上達也、桜井勝延 他著

『暗闇の思想を/明神の小さな海岸にて』 松下竜一 著

 『市民電力会社をつくろう!――自然エネルギーで地域の自立と再生を』 小坂正則 著

 増補新版 『隠して核武装する日本』 槌田敦・藤田祐幸他 著

 『ヒバクシャ――ドキュメンタリー映画の現場から』 鎌仲ひとみ 著

 『広島の消えた日――被爆軍医の証言』 肥田舜太郎 著

 『時代と記憶――メディア・朝鮮・ヒロシマ』 平岡 敬 著

 『無援の海峡――ヒロシマの声、被爆朝鮮人声』 平岡 敬 著