〔増補新版〕


〔旧版〕
「もんじゅ」の正体とは? 「エネルギー問題」からは見えてこない軍事利用の闇

槌田敦・藤田祐幸・井上澄夫・山崎久隆・中嶌哲演・
小若順一・望月彰・渡辺寿子・原田裕史・柳田真

核開発に反対する会   絵=橋本勝

増補新版
隠して核武装する日本



●増補新版 2013年9月刊
四六判並製 214頁
定価 1500円+税
ISBN978-4-87714-439-5 C0031
(旧版=2007年12月刊)


●目次
●書評
●関連書




子力の平和利用”を隠れ蓑に、日本は核(兵器)開発を進めていた!
「エネルギー問題」からは見えてこない軍事利用の闇を追及し、勢いを増す「日本核武装論」に正面から反論を試みる初の本格的論集。

巨額の税金を投入し続けながら何の成果も生み出さない「高速増殖炉もんじゅ」は、なぜ止まらないのか。
「もんじゅ」が生み出す高純度の「超兵器級」プルトニウムの存在、戦後の原発導入時の舞台裏やアメリカとの「核密約」も絡む核開発裏面史、核弾頭を運ぶミサイル技術の実際等々、資史料に基づき徹底検証。北朝鮮の核問題、ミサイル防衛、戦中日本の原爆開発、米軍再編問題等もまじえ多角的に論じる。

巻末に「それでも核武装したいのか」(槌田敦、16頁)、および巻頭に「新序――こっそり変えられた『原子力の憲法』」(小若順一、7頁)の2篇を増補。初版(2007年)発行から「3・11」後の今日までの情勢をふまえた増補新版。

小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)推薦! 「核と原子力は違うもの? 騙し続けた国と騙し続けられた国民。いつの間にか日本は巨大な核保有国になった――!」
核武装推進・容認の国会議員リスト収録!


〈著者略歴〉

槌田 敦
(つちだ・あつし) 1933年生まれ。理学博士。物理学、環境経済学。「核開発に反対する会」代表。東京都立大卒、東大大学院、同大助手、理化学研究所研究員をへて、名城大学、高千穂大学等で教鞭をとる。独自のエントロピー理論や資源物理学の概念から、早くから原発の危険性や環境問題、資源問題を追究、問題提起してきた。著書:『エントロピーとエコロジー』(ダイヤモンド社)、『新石油文明論』(農山漁村文化協会)、『CO2温暖化説は間違っている』『弱者のための「エントロピー経済学」入門』(ほたる出版)他。

藤田祐幸(ふじた・ゆうこう) 1942年生まれ。エントロピー論、科学哲学。東京都立大学理学部物理学科卒、同大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了後、慶應義塾大学にて教鞭をとる。物理学者の立場から放射能が人体と環境に及ぼす影響を訴え、原発や被曝労働の実態調査、チェルノブイリ周辺の汚染地域の調査、ユーゴ・コソボ地域やイラクでの劣化ウラン弾による被害調査を行なう。著書:『エントロピー』(現代書館)、『知られざる原発被曝労働』(岩波書店)、『脱原発のエネルギー計画』(高文研)他。

渡辺寿子(わたなべひさこ) 「核開発に反対する会」運営委員。「原発いらない!ちば」。「臨界事故調査市民の会」。共著:『東海村「臨界」事故』(高文研)。

井上澄夫(いのうえ・すみお) 1945年生まれ。ジャーナリスト。「市民の意見30の会・東京」事務局。べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)での活動の他、さまざまな反戦・平和、反公害・反原発などの市民運動にかかわる。著書:『歩きつづけるという流儀』(晶文社)、編著:『いま語る沖縄の思い』(技術と人間)、鄭敬謨著『南北統一の夜明け』(技術と人間)他。

山崎久隆(やまさき・ひさたか) 1959年生まれ。「たんぽぽ舎」副代表。「劣化ウラン研究会」代表。86年チェルノブイリ原発事故以来日本でも同じような重大事故が迫っていると、原発の安全性問題を中心に活動。合わせて湾岸戦争以来米英軍などが使った劣化ウラン兵器の影響を調査し廃絶の取組に参加。共著書:『放射能兵器・劣化ウラン』(技術と人間)、『原発事故から身を守る』(第一書林)、『原発の地震 防災はどうなっているか』(たんぽぽ舎パンフレット)他。

原田裕史(はらだ・ひろふみ) 1967年生まれ。筑波大学大学院修士課程修了。理工学修士。「核開発に反対する会」運営委員。

望月 彰(もちづき・あきら) 1939年生まれ。静岡大学工学部中退。日鉄溶接工業習志野工場に25年勤務。労働安全対策小委員長を18年勤める。2000年、東海村臨界事故調査市民の会に参加。9・30東海村臨界事故東京圏集会実行委員長。「核開発に反対する会」運営委員。著書:『告発! サイクル機構の「四〇リットル均一化注文」』(世界書院)、共著:『東海村「臨界」事故』(高文研)他。

柳田 真(やなぎだ・まこと) 1940年生まれ。愛知県瀬戸市出身。東京都庁に勤め、労働行政で38年間働く。組合活動も38年。都労連交流会『600人の友人へ通信』を発行、現在に至る。2001年に退職後は、たんぽぽ舎を中心に活動。4つの研究会と3つのネットワークの事務局と「核開発に反対する会」事務局を勤める。

中嶌哲演(なかじま・てつえん) 1942年生まれ。福井県小浜市・明通寺住職。「原発反対福井県民会議」、「原子力行政を問い直す宗教者の会」などに結成時より参加。著書:『平和への鈴声』(文政堂)、『原発銀座・若狭から』(光雲社)他。

小若順一(こわか・じゅんいち) 1950年、岡山市生まれ。さいたま市に事務所を置く市民団体『食品と暮らしの安全基金』代表。「核開発に反対する会」世話人。著書:『使うな、危険!』(講談社)、『最新・食べるな、危険!』(幻冬舎)、『放射能を防ぐ知恵』(三五館)他。
                             *
橋本 勝(はしもと・まさる) 1942年生まれ。新聞・雑誌での社会風刺漫画、ポスター、映画評などで活躍。著書:『核も戦争もイヤなものはイヤ だから9条がスキ』『21世紀の世界に9条はおすすめです』『戦争のない世界ってつくれるョ』(以上BOC出版部)、『どうもニッポン』(筑摩書房)、『チャップリン』『黒澤明』(ビギナーシリーズ・現代書館)、『20世紀の366日』『2002年の365日』(ふゅーじょんぷろだくと)他。


(本書刊行時点)






◆『隠して核武装する日本』 目次◆

 新序――こっそり変えられた「原子力の憲法」 ・・・・・小若順一
こっそり変えられた「原子力の憲法」/基本法の原則は附則で変えられない/唯一、語られた軍事利用/中国の海洋進出が日本を変えた

 ――プルートーとブッダ ・・・・・中嶌哲演

 「核武装」推進議員が増加
自民党国会議員九〇人が容認 「核武装」推進議員が増加/「すぐに検討を始めるべき」が四人も/北朝鮮の核実験がきっかけ/国際情勢によっては、核保有国に
*核武装の検討を容認する国会議員リスト

 T 核武装を準備する日本
    ――このままでは不幸な未来が予想される・・・・・槌田 敦
核武装に関する日本政府の公式見解/日本における核物質の製造計画の歴史/高速炉もんじゅの建設とアメリカの政策変更/日本が所有する超軍用プルトニウム/北朝鮮の核実験と日本の大騒ぎ/発電用プルトニウムによる核爆発装置/原爆の基本設計/発電用(原子炉級)プルトニウムでは原爆は作れない/もんじゅの目的は増殖ではなく、軍用プルトニウムの製造/核兵器所有に関するアメリカの二重基準/IAEAも二重基準/使えない兵器としての原爆 使える兵器としての原爆/アメリカのための日本の核武装/日本が核武装すると、アジアは/日本の裏切りを許さない/見ざる、言わざる、聞かざるの日本社会/不幸な時代にしないために

 補論1 原爆で戦争が終わったのではない
   ――久間前防衛相への反論・・・・・槌田 敦
ドイツと戦うため原爆製造を提案した科学者/投下目標は初めから日本/原爆投下の準備進む/日本の戦争能力をあえて温存する/原爆投下都市の選定理由/戦争終結を模索していた日本/戦争終結に向けてのアメリカでの動き/原爆を投下する理由/原爆使用の準備完了/ソ連の参戦と天皇制容認との関係/日本に降伏させないためのポツダム宣言/原爆投下の最終決定/何度も繰りあげられ、準備不足のまま原爆投下/条件付の無条件降伏/降伏直後の状況/まとめ/アメリカの原爆投下を戦争犯罪として告発しよう

 補論2 中西輝政の核武装論
  ――日本の「右翼」はどのような軍国主義を考えているのか・・・・・槌田 敦
中西輝政の現状判断/中西輝政の主張/中西輝政の日本核武装準備の認識/中西輝政の見るアメリカの対応/中西輝政のいう日本核武装後のアジア情勢/中西輝政の向かうところはアジア核戦争

 U 戦後日本の核政策史・・・・・藤田祐幸
自由党・科学技術庁設置案/中曽根とキッシンジャー/中曽根原子力予算/沸騰する世論/平和利用三原則/ジュネーブ原子力平和利用国際会議/原子力基本法/原子力委員会/科学技術庁設置法/原子力産業会議/コールダーホール型原子炉導入/「核兵器は合憲」――岸信介の時代/核武装論者、佐藤栄作/佐藤栄作のトリレンマ/日本の核政策四本の柱/ニクソン・ドクトリンと沖縄問題/佐藤政権下の核武装研究/安全保障調査会/トリレンマからの解放/掣肘を受けざるべく/二つの特殊法人/原爆の作り方/戦術核/「もんじゅ」事故とその後/平和利用と軍事利用

  日本の科学者は再び核兵器開発に手を染めないか
  
 ――日本も原爆を作ろうとしていた・・・・・渡辺寿子
日本の原爆開発を検証したテレビ番組/上から作れと言われたら作るのが科学者/原爆開発の過去に口をつぐんだ科学者たち/科学の進歩のためには核兵器も作る科学者達/再び核兵器開発をさせないためには

 V 「核武装論議の解禁」が私たちに問うもの・・・・・井上澄夫
米国政府を揺るがした核武装論議の浮上/無視できない世論の変質/日本の反核運動の後退・劣化/核兵器保有に関する日本政府の見解と「非核三原則」/何のために戦争国家化を急ぐのか?/「集団的自衛権の行使」を合憲化する二つの方法――解釈改憲と明文改憲/私の提案

 W 「核」攻撃とミサイル防衛・・・・・山崎久隆
ニッポン・ミサイル防衛/ミサイル防衛と集団的自衛権の行使/自衛隊と米空母機動部隊の一体化がもたらすもの/日本の船全てがイランの敵性国船舶に/ミサイル防衛システム配備始まる/ミサイル防衛は軍拡競争とともに/対中国用の……/核弾頭搭載型ミサイル防衛

 X 「平和」のための核兵器 Atoms for Peace ・・・・・原田裕史

  東海村臨界事故と核開発
   ――偽装された事故原因と責任を明らかにする
・・・・・望月 彰

  日本核武装の疑惑を追う市民の活動――あとがきにかえて・・・・・柳田 真
1.会発足のきっかけと目的/2.第1回〜6回の講演・討論会の日時と内容/3.一年余をえふりかえって――成果と課題/4.さいごに・本会の目的
                             *
  〈増補〉それでも核武装したいのか・・・・・槌田 敦
核不使用声明 日本署名見送り/そもそもの日本の原爆計画/核弾頭の軽量化/高速炉は軍用原子炉である/「増殖」は大ウソだった/仮死状態のニセもんじゅ/応援団だけが興奮しているニセもんじゅの現実/もうひとつの高速炉常陽はどうか/日本を攻撃するなら、核兵器はいらぬ/終わりにひとこと
 






書 評



(以下、旧版への書評)


● 「核開発に反対する会」2008.01.ニュースbX

  底流する核武装の“意志”――『隠して核武装する日本』を読んで
                               評者=笹本征男
(現代史研究者)

 アジア太平洋戦争下、大日本帝国陸軍は「ニ号研究」、海軍は「F号研究」という原爆開発計画をそれぞれ進展させていた。これら日本軍の原爆開発計画は、米国のマンハッタン計画のように、実際に原爆を製造するには至らなかったが、大日本帝国が原爆開発=核武装の“意志”を持ち、それを実行していたことは銘記すべきである。

 大日本帝国は連合国軍との戦争に敗北した。1945年9月2日、ミズリー号上での降伏文書調印から12日経った9月14日、帝国政府は「学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会」を結成した。9分科会から成る、この大調査プロジェクトは、広島市・長崎市に原爆を投下した米国の占領軍の原爆効果(被害)全面協力のためであり、原爆被害者の治療・救護を目的としていなかった。

 日本側は180本以上の報告書を英訳して、GHQ(総司令部)に提出した。米軍がこれらの報告書を自らの原爆戦争目的のために利用したことは言うまでもない。この原爆調査には、帝国陸軍の「二号研究」に参加した仁科芳雄など多くの科学者も参加した。本書で渡辺寿子も指摘しているように、日本軍の原爆開発計画に参加した仁科芳雄たち科学者は個人個人が反省することはなかった。むしろ反省する暇もあらばこそ、敗戦後は大量殺戮兵器の原爆を使用した米国の軍隊の調査に全面協力していったのである。戦時下に原爆開発の“意志”を発動させた大日本帝国は、敗戦後、米国の調査に全面協力するという“意志”を発動させた。相手の米国は紛れもなく核武装国家である。

 1952年4月、日本は連合国軍と講和条約を締結し、独立した。その後、本書で藤田祐幸論文が論じているように、日本の原子力開発(核政策)が始動した。その進展の速度は目覚ましいものであった。1945年8月6日、9日の米国の原爆攻撃から10年あまりしか経っていなかった。いわゆる「ヒロシマ・ナガサキ」の歴史は、日本の原子力開発の足かせにはならなかった。

 岸信介の沈黙
 1957年5月14日、内閣総理大臣の岸信介は外務省記者クラブで「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」(97頁)と発言した。そして『岸信介回顧録』では、1958年1月6日、東海村の原子力研究所を訪問したときのことを次のように書いている。この部分は重要なので長くなるが引用する。

 「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意志の問題である。日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器は持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核兵器禁止問題などについて国際の場における発言力を強めることができる」(98頁)。岸の発言と考え方はその後の日本政府の核武装をめぐる公式見解の原型である。

 私は岸政府について、ひとつの疑問をもっている。それは、1957年3月に制定された「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)の法案が内閣提案として提出されている事実についてである。岸信介はこの法案提出に関して、私の知る限り、何も語っていない。さらに岸は、米国の原爆投下とその結果としての広島・長崎の被害についても、何も語っていない。恐らく岸は、この問題について沈黙したのであろう。とすれば岸の核武装論は、米国の原爆投下と広島・長崎の被害を抜きにした論だということになる。これは日本の保守政権の核武装論に通底している。岸信介の沈黙は岸の米国への協力の深さを物語っている。

 ウランからプルトニウム
 藤田論文は、佐藤栄作が核武装論者であり、その政府の時代に、数種の秘密の核武装研究が行なわれ、その報告書を暴露していて、興味深い。ひとつだけ指摘するとすれば、1965年の原子力長期計画の見直しから始まる一連の動きが「明らかにプルトニウムへの路線変更を意味(126頁)したと藤田が述べていることである。「動燃に与えられた使命は採算を度外視しても高速(増殖)炉を開発することであった。東海村に再処理工場を建設し、大洗に高速実験炉「常陽」を建設し、ブランケットを再処理するために東海村にRETF(リサイクル機器試験施設(略笹本))を建設した。これが予定通り進めば、20世紀末までに日本は戦術核開発の“技術的ポテンシャル”を確保することができるはずだった。」(130-131頁)

 しかし、1995年12月8日、ナトリウム火災事故が「もんじゅ」を襲った。藤田は「この日から、佐藤栄作が構築した全てのシステムが音をたてて崩壊を始めた。」(131頁)と簡潔に述べている。

 槌田敦論文は、「もんじゅ」が「@軍用プルトニウム生産炉、A地震の巣の上の原子炉、Bプルトニウム燃料とナトリウムの危険、C増殖するというウソ、D今後予想される巨大運転費用」(43頁)の問題がるので、「もんじゅ」の運転を再開しないことを内閣総理大臣宛の署名運動を始めるという提案を結論としている。なお、槌田は2007年6月に結成された「核開発に反対する会」の代表者である。槌田は日本の核武装の可能性が最も高い、軍用プルトニウム生産炉としての「もんじゅ」の再開停止を訴える運動を推進する。その運動は今後の行方が注目される。

 おわりに
 核武装論に対抗するためには、柳田真も言うように「民衆の側の議論(理論武装)と運動」(182頁)が必要である。しかしそれは「全く乏しい」。これが本書編集の真意である。

 井上澄夫論文は「被爆者団体も米国の原爆投下責任を追及することには着手できなかった。(略)日本政府は日本が米国の『核の傘』で守ってもらっているからという理由で米国の原爆投下責任をいっさい問わない」(143頁)と指摘する。これが日本の核武装論容認の底流にある。だから根が深い。

 最後にあるテレビ番組のことに触れて小文を終わりたい。2007年8月6日、NHK広島放送局が制作した「被爆者空白の十年」が放映された。この番組は、米国の原爆効果調査機関ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した日本政府の調査機関「広島・長崎原子爆弾影響研究所」(厚生省所管)が、1947年から1957年までに使った国家予算が、当時の金で「8千万円(今の金で80億円)」という事実を暴露した。1957年は、先述した原爆医療法が制定された年である。この巨額な国家予算は、原爆被害者の治療・救援のために使われたのではない。核武装国家米国のために使われたのである。1947年から2007年まで、この巨額な予算支出の事実は、どのマスメディアも伝えなかった。

 たしかに元の数字は、私が担当ディレクターに知らせたが、この60年間にわたってこの重要な数字が隠されてきたことの意味を考える。私は広島・長崎の原爆被害をめぐる被害の歴史が「神話」であった、とつくづく思う。「8千万円(80億円)」が、原爆被爆者の治療・救援のために使われていたら、と考えるのは私だけではないであろう。このような日本政府を批判してこなかった日本国民の権利意識も問題である。

 日本の核武装の“意志”は、保守人脈の中に脈々と流れている。その底流を根本的に断ち切ることが必要であるが、それは容易なことではない。その為に本書は重要な手がかりとなるであろう。
                           (2008年1月10日、東京医療センター病室にて記す)





● 『図書新聞』2008年1月19日
  原発と核兵器は一つのもの
                                  
           評者=樋口篤三

 噴出した核武装
 世界――アメリカ時代の終わりの始まり、東アジア――日本優位性のゆらぎと“第二の亡国”といわれる危機が各界の道徳崩壊から始まった。がそれゆえにこそ日本の右傾化も著しく、その先端が核武装大国化への衝動である。

 06年10月北朝鮮の地下核実験→「日本が核攻撃される危険に備えよ」(見当違いもはなはだしいと槌田敦はいう)と、時の安倍首相の兄貴分格の中川昭一自民政調会長がのろしをあげ、麻生外相(のちの幹事長も「核武装の検討を」と連鎖合唱が湧き起こった。同時期に同意見の自民党代議士は75人、同参議院議員は15人、さらに民主党はそれぞれ14人と5人(毎日新聞)をしめ、小池百合子(今年発足予定の小泉新党党首といわれる)、石破茂や大森理森ら、民主党は前原誠司前党首、野田佳彦ら名うての右派が名を連ねている。(本書冒頭に一覧表がのっている)。安倍はその以前の官房副長官時から「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核武装を保有することは憲法の禁ずるところではない」と公言してきた。

 これらの核兵器断固もつべし論の噴出に対し、われわれ民衆側の対抗理論と「運動は残念ながら全く乏しい。議論する場も私たちの知るかぎりほとんど無い」(たんぽぽ舎、核開発に反対する会事務局の柳田真のあとがき)。
 この反核運動主体の危機下に本書は、長年の反原発センターの蓄積にたって、タイムリーに発刊された。

 福井県は原発密集地帯だが、小浜市明通寺・中嶌哲演住職は長年反原発を闘い、昨今は「もんじゅ」(軍需プルトニウム製造・敦賀市)の95年12月の大事故後の再開下に反対の先頭にたちつつ本書に「序」をよせ、「日本核武装の危険を本格的に扱った初めての著作」という。まさに神や仏を信ずる人も、信じない人も心を合せて協同行動をとっている。

 広島、長崎への原爆投下の犯罪性
 本書は単なる啓蒙書にとどまらず、創造的な問題提起がいくつもある。
 例えば例の久間元防衛相の「原爆しょうがない」発言に対して「原爆で戦争が終わったのではない」と反論する槌田敦論文である。

 「アメリカは原爆を投下するためだけに、天皇制を利用して戦争を三ヶ月も引き延ばした。原爆を投下する目的は、この新兵器の人的効果を知り、戦後の世界支配に利用することであった」……。

 戦後出た膨大な太平洋戦争史は、最も良心的といわれた家永三郎の同名書(1968年、岩波書店)でも、「結局、原爆投下とソ連の開戦のダブルショック」がポツダム宣言受諾決定に導いた論で、右の指摘はない。有名な鹿児島知覧特攻基地(昨年映画になった)も、米軍が無傷でわざと残しておいた点の指摘等、従来の保革を貫いた軍事史、政治外交史書の盲点をついている。

 大署名運動と中曽根マジックの勝利
 1954年、南太平洋ビキニ環礁でおきた焼津港マグロ漁船の第五福竜丸の水爆実験被災は、圧倒的多数の人々に衝撃を与えた。

 “恐怖する市民の意志”としての杉並アピール原水禁書名運動は、一点の火花も燎原を焼きつくす勢いで全国に広がった。署名者は歴史上かつてない、3238万人、国民の3人に1人が呼応した。
 だが、本書の藤田祐幸「戦後日本の核政策史」を読んで、歴史をふり返ると、当時の体験者の一人として、ウーンと思わず反省とためいきが出る。

 原水爆許すまじ、と日本平和運動が大高揚した同じ時期に、「原子力の平和利用」について、二つの保守党(民主党と自由党)と革新党(左派社会党と右派社会党)が超党派で結束し、ジュネーヴの国連原子力平和利用国際会議に4党4人が参加。帰路に仏英米加4ヵ国の施設を見学し、帰国三ヵ月後に議員立法で原子力基本法など8本の原子力基本法体系を「電光石火の早業」で成立させた。

 「全国民協力」「戦争の圏外に置く」「平和利用に徹する」等6点が網羅的に盛りこまれた。立役者は若き中曽根康弘(37歳)であり「中曽根マジックの勝利」(藤田)であった。後年に国家戦略家として名を歴史に刻んだ彼に、革新勢力は完璧に出しぬかれたのであった。翌年の原子力委員会は、読売新聞社主の正力松太郎議員が委員長で、政・財・学(ノーベル賞の湯川秀樹)・労(労農派でマルクス主義の有沢廣巳)ら各トップクラスを結集した「豪華メンバーは、驚嘆を持って迎えられ」「原子力時代の到来」を告げた。

 いらい半世紀、その原子力平和利用なる原発は、地下水道で原爆、核としっかりとつながっていた。五大核武装国並みに「日本は原爆材料を所有する国」となり、政治のボタン一つで核武装は現実化する。

 これらの核武装の危機に対して、槌田敦、小若順一、たんぽぽ舎有志等が中心になり、2007年6月に「核開発に反対する会」が設立された。@軍事はもちろん、一切の原子力に反対する、A特に、日本の核武装に反対することを決め、当面もんじゅ(原爆8発分の兵器級プルトニウムを既に生産した)の運転再開に反対する署名運動を始めた(43頁)。

 本書収録の全執筆者の論考の思想と志は、われわれの心に訴え、何らかの行動――署名運動を含めて――をせまっている本である。





● 『社会評論』2008年冬号
   ウソで固めた日本の核政策
                                             評者=中村泰子

 2007年「今年の漢字」は「偽」。食品会社などが悪者になる一方で、電力会社による、原発臨界事故隠しを含む一万件以上の偽装について忘れ去られているのは、どうしたことだろうか? 事の重大さがあまりにも違うのではないか? 大きすぎると庶民の目にはかえって見えなくなるものか? そして、もっと巨大な偽装があった。「原子力の平和利用」という徹底した宣伝の裏で、日本は密かに核武装を準備しているという事実を告発し、一切の核に対して、はっきりNOと言おう! と呼びかけているのが本書である。

 政府は、あくまでもプルトニウム開発はエネルギー政策の一環であるとし、「核燃料サイクル」という、何かエネルギーの安定供給を連想させる名称を付けて国民をだましているが、真の目的は「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルを保持するため」(1969年外務省文書)であると、本書はズバリ指摘する。

 プルトニウムは原発使用済み燃料中に生成される。長崎型原爆の材料で、非常に強い放射能を持ち、半減期の十倍の24万年もの間、厳重管理が必要という(24万年前というとヒトはまだ旧人だった)。

 本書で暴かれているプルトニウム開発(核燃料サイクル)の実態を簡略化して図に表わしてみた。要するに、高速炉「もんじゅ」(高純度プルトニウム製造施設)のブランケット燃料を再処理して得られる兵器級プルトニウムを終着点とする、ひたすら環境を汚染し核のゴミを出し続ける一方通行の経路になるかと思う(図参照)。全国55基の原発も六ヶ所村再処理工場も連動している。



 政府はなんとか「サイクル」の体裁を取りつくろおうと、六ヶ所村再処理工場から原発への経路(プルサーマル計画)を強行しようとしているが、プルトニウムを普通の原発で燃やすことは危険性が高く、しかもその使用済み燃料は再処理する価値がなく高レベル放射性廃棄物になるので、サイクルにはならない(図の×印)。

 「核開発に反対する会」代表の槌田敦氏は、巨費を投じ、国民の命を危険にさらしても「もんじゅ」の運転再開(2008年10月予定)をめざすのは、軍事目的でなければできないことだと断言する。不幸な時代にしないために、日本の核武装に反対しよう!と訴えかける。

 2002年、福田康夫内閣官房長官と安倍晋三官房副長官(当時)は、核兵器は持てると発言し、その二人が相次いで首相となった。2006年、朝鮮民主主義人民共和国の核実験をきっかけに、中川昭一氏、麻生太郎氏は、国際情勢によっては核武装を検討と発言、自民党や民主党に核武装を容認する政治家が増えていることが、本書に収録されている「核武装の検討を容認する国会議員リスト」からうかがえる。しかし、これは今に始まったことではない。お祖父さんの代からの念願なのだ。

 本書によると、戦後、政府は一貫して核武装を画策してきた。平和憲法施行からわずか5年後の1952年、吉田茂首相は原子力兵器生産に備え科学技術庁新設のための具体案作成を指令した。1954年には中曽根康弘原子力予算が採択され、1957年、岸信介首相は核武装合憲論を打ち出した。1964〜72年の佐藤栄作内閣の時代に「非核三原則の堅持、日米安保条約による米国の核抑止力への依存、核軍縮の推進、核エネルギーの平和利用の推進」を表向きにしつつ、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と宇宙開発事業団を科学技術庁傘下に設立し、核武装能力の保持への方策を促進させた。しかし、1995年に「もんじゅ」がナトリウム火災事故を起こして頓挫したわけだ。

 しかし、この間も政府は「平和利用」を隠れ蓑に、多額の税金を投入し、国策としての核燃料政策をしゃにむに進めてきた。放射性廃棄物の行き場もないのに、現場労働者を被曝させるのに、環境を破壊するのに、原発大震災の危険性が高いのに、大事故になれば取り返しがつかないのに、核武装という隠された狙いのためには何でもやるのか! この国家的大偽装の実相を世に明らかにした本書の意義は大きい。





● 『原発廃止めざすニュース』(08・5月)

                                     評者=沢田竜夫
(フリーライター)

 核の脅威、原子力の恐怖というと思い出すのは、今から40年前の1968年の1月、ベトナム戦争下における米国の原子力空母エンタープライズの佐世保寄港であった。当時中学生だった私は、学生と機動隊が激突するニュースを夢中になって観ながら、なぜ原子力空母にこんなにも反対するのか少しずつ関心を持ち始めるのであった。時期を前後してテレビでは日本映画の旧作が盛んに放映されていた。なかでも、核の恐怖に関連して衝撃を受けたのは有名な『ゴジラ』(1954年・東宝)と『世界大戦争』(1959年・東宝)の2作だった。『ゴジラ』は、水爆実験によって生み出された怪物の出現というショックに、同年の第五福竜丸事件がオーバーラップすることで、日本人の被爆体験が浮き彫りにされ、『世界大戦争』は、米ソの核戦争に日本が巻き込まれるという設定(ラストは東京が核爆弾で壊滅する)で、庶民の視点からの反核のメッセージは、今観直しても十分説得力に富む傑作である。

 前置きが長くなったが『隠して核武装する日本』を読んでいると、そんな40年前のことを思いだした。例えば「戦後日本の核政策史」(藤田祐幸)の歴史的な流れから捉え返してみると、40年前は佐藤政権と沖縄返還をめぐる日米の思惑がからむ時期であり、戦後23年という時代は、戦争や核に対して世の中(政治も)が敏感だったことが分かる。

 本書のテーマは、この書名にストレートに表されているように、時代を経て蠢き始めた「日本核武装」推進勢力の正体、その狙いと政治的・歴史的背景を多様な角度から批判的に分析・レポートした、まさに待たれていた一冊といえる。

 反核あるいは反核運動というと、原水禁・原水協の対立をはじめ運動の風化というかマイナスイメージが先行しがちである。本書でも、〈反戦・反核の課題を反安保と結合しなかった、戦争責任の追及や戦後補償要求の面でも非常に不十分だった〉(井上澄夫「『核武装議論の解禁』が私たちに問うもの」)と指摘されているように、運動主体からの批判的検証と議論はなおざりにされていたことは否めない。その一方で、気が付けば本書でも強調されているように「『核武装』推進議員が増加」するご時世で「核武装を準備する日本」に邁進している実態は深刻だ。

 そんななかで、2007年の久間暴言にしても、「原爆で戦争が終わったのではない―久間前防衛相への反論」(槌田敦)のように、多くの人たちが自明のこととして見落としていたポイントに気付かされる。併せて「日本の科学者は再び核兵器開発に手を染めないか―日本も原爆を作ろうとしていた」(渡辺寿子)もまた忘れてはならないだろう。
 「反核」ということばにリアリティを取り戻すためにも、本書はもっと広く読まれてほしい。





● 『週刊新社会』(08・4・15)

 9条守る闘いの軸に 核武装反対の運動を

 「日本は世界最初の被爆国であり、非核三原則を国是としている。国際的には核兵器不拡散条約に加盟している。したがって日本は核武装することはない」と、多くの日本人は考えているのではないだろうか。
 だが、06年10月9日の北朝鮮の核実験の際の日本核武装論議を思い出してほしい。

 当時、自民党政調会長だった中川昭一衆院議員が「核があることで攻められる可能性が低くなる、なくなる。やれば、やり返すという論議はありうる」と核武装論議を提唱した。そして麻生太郎外相(当時)が中川提案を「議論しておくのは大事」と擁護した。
 その後、議論の「発展」はあったが、大合唱にはならなかった。翌年の統一自治体選、参院選を意識したのか、いつの間にか沈静化し、影をひそめた感じすらある。

 だが、日本核武装論は時と情勢をとらえて間歇的に吹き上がってくる。日本政治の地下水脈に、核武装を悲願とする大きな流れがあるからだ。
 そして、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す青森県六ヶ所村の再処理工場が本格稼働を目前にし、核兵器級のプルトニウムを生み出す高速増殖炉もんじゅの運転再開へ、着々と準備が進んでいる。
 つまり、政治決断一つで日本はいつでも核武装できる状況にある。保守政界の核武装論者は、その機会を虎視たんたんと狙っている。

 そうした動きに民衆の側は注意を払い、適切な反撃を行っているだろうか。残念ながら「否」と言うべきだろう。そうした状況に注意を喚起し、理論武装を促す格好の著作が昨年末に出ている。 『隠して核武装する日本』である。日本核武装の疑惑を追う市民の活動が、討論の場と反対運動の烽(のろし)を上げたいと生み出した民衆の側の理論と資料集だ。06年11月に始まった「ニッポン核武装の疑惑を追う講演・討論会」の内容の再編・書き下ろしである。

 主な執筆者は、元名城大学教授の槌田敦さんをはじめ元慶応大学の藤田祐幸さん、ジャーナリストの井上澄夫さん、たんぽぽ舎の山崎久隆さんらで、中曽根康弘元首相を軸とする日本の核(兵器)開発への政治的・技術的動向が歴史的に明らかにされている。

 核武装が、憲法9条の息の根を止めるものであることは論を待たない。9条を守る闘いの軸に核武装反対運動がしっかりと位置付けられなくてはならない。






● 『核開発に反対する会 ニュース』
(08・6月)
 『待っていました!』

                                        評者=内藤新吾
(教会牧師)

 「いやあ、こんな本が出るのを待っていました」と私は柳田さんに『隠して核武装する日本』の出版感謝を申し上げた。この本を私は、序文を担当したお坊さん中嶌哲演さんの案内で読んだ。私は浜岡原発地元4市の掛川に住む、キリスト教牧師である。

 安倍前首相ら核武装論発言続出
 昨年3月のビキニ・デーに、私は宗教者として指名を受け、短く話させていただいた。ご存知、2006年の安倍政権の、中川政調会長の核武装論発言や、これを弁護する麻生外相(彼も2005年ワシントンで同じことを発言)、そして実は安倍も内閣官房長官だった時、2002年早稲田大学講演会で「日本も小型であれば原子爆弾を保有することに何も問題はない」と発言したことや、他にこれまでも度々、政府閣僚や官僚が「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」と答弁してきたことを紹介させていただいた。そしてそのための準備として原子力が、日本に導入されてきたことも。

 久間元防衛相の暴言
 また昨年9月、静岡県宗教者の集いでも、久間防衛相の暴言を振り返り、原爆投下は、もはや戦力のない日本に落とす必要は全く無かったのに、あれはアメリカが国威を示して戦後の主導権を握るためと、また死の商人たちの新商品発表のデモンストレーションとして投下された、と前置きして原発の諸問題を話させていただいた。

 日本の核武装は核開発当初からあった
 こういった内容のことは、いくつかの図書に点在するようにして書かれてあったが、それらを一冊にまとめたものは無かった。また、世界の列強国がアメリカに続こうと核開発を競う中、日本でも実は当初からそのことが目論まれ導入されたことを、暴いてくれる図書は本当に稀であったし、一般書店に置かれる本では、それぞれ主要内容の参考資料として添えられる程度であった。勿論、今回も執筆者となっておられる諸氏も、その書の中で真剣にそれを憂えて、訴えておられたのであった。ただ、そのこと一点で本がまとめられる程、国民の危機意識がそれに付いていけるまでの段階にはなかったのである。

 核武装準備の証明に役立つ教科書だ
 しかし今や、時は熟した。改憲が堂々と叫ばれ、教育の場にまで思想準備が進められる中、これらの悪の台頭に対抗すべく、やっぱりお前たちの狙いはそこにあったのだろうと、これを粉砕すべく、核武装のために積み上げられてきた諸準備の証拠の数々を列挙し、それによって今こそ国民がこれに気付き、悪の野望を食い止める。そのための教科書として、この書は満を持して出されたと言ってよい。最高の書である。





● 『思想運動』
(2008.5.15)
 着々と進む日本核武装への歩みに警鐘

                                          評者=勝木 渥
(物理学者)

 日本の支配階級の代表的イデオローグたちの間には、日本核武装への根強い志向が貫かれている。そのイデオロギー的・政治的発現と、それを物質的に保障する原子力政策について、本紙は501号(1994年6月15日付)で、白石保が「核能力開発に邁進する日本、高速増殖炉『もんじゅ』臨界の意味」と題してやや長文の解説を書いて以来、主として「頂門一針」が、日本核武装への顕著な兆候が現れるたびにそれを指摘して警鐘を鳴らしてきた。だがそれらは、その時々の断片的な指摘と問題提起に終わっており、わたしは、もっと総合的な詳しいレポートが、できれば単行本として出版されてほしいと、ずっと思い続けてきた。

 この私の希望と期待を満たすような本が「核開発に反対する会」の編集で、槌田敦・藤田祐幸ら九人の論客による、「原子力の平和利用」の看板のもとで潜行的に進行する日本核武装計画に対する、正面切っての反論の論集として、2007年11月に刊行された――『隠して核武装する日本』である。

 全編を紹介するだけの紙面の余裕がないので、いくつかの記事を取り上げて、紹介する。9頁には資料として「核武装の検討を容認する国会議員リスト」が載っている。衆議院議員88名(内訳、自民75、民主13)、参議院議員19名(内訳、自民15、民主4)。国会においても、核武装志向の議員が今やある程度の勢力となっていることが示唆されている。

 ついで、槌田が「核武装を準備する日本」と題して、13頁から74頁まで、62頁にわたって論を展開している。槌田は、白石が前記の解説の末尾で「このエッセイを書くに当たって『日本の核武装に反対する物理学者の緊急集会』で配布された資料、および、『核兵器に反対する物理学者の会準備会』の『準備会通信』と『核と原発の情報』を大いに参照した」と書いている「緊急集会」および「物理学者の会」の組織者であり、資料の収集・配布者であり、「通信」・「情報」の発信者であった。かれは「核武装に反対する物理学者の会」を発展的に解消して、「核開発に反対する会」を立ち上げ、これまでの活動の蓄積の上に、この論文を書いたのである。

 引続いて、藤田祐幸が「戦後日本の核政策史」と題して75頁から134頁まで、60頁にわたって書いているが、かれは隠れもなき原発反対論者として八面六臂の活動を展開する傍ら、日本の核政策史について緻密な研究を進め、それに基づいてこの論文を書いた。

 槌田・藤田の論文とも、日本の核武装に関する鋭く重厚な論文になっている。他の論者たちの報告も、それぞれにユニークな視点からの問題提起となっている。





● 『hananpojitsu news』
(2008.1)
 核武装に反対するための理論武装を

                                               評者=木村雅夫

 この本は、皆さん、日本はかくして米国にも日本国民にも隠して核武装をしてきているよ、核武装推進・容認議員もこんなに増えてきているよ、軍用プルトニウムを溜め込んでいるよ、だから07年6月に発足した「核開発に反対する会」とともに、「軍事はもちろん、一切の原子力に反対」しようよ、そして「もんじゅ」運転再開を止める請願署名を集めてください、と訴える本だ。

 「正月早々こんな小難しい本はしんどい」と読み進めると、中味がなかなか面白くとても為になる。

 例えば、「アメリカは原爆投下のために戦争を引き延ばしたのである」ということ。天皇裕仁が国体護持のためと称して身の安全を確認するまで降伏せず、そのために沖縄戦で多数の犠牲者を出し、全国各都市の空爆、そして原爆投下と、国民の被害を増大させたことは衆知。一方、アメリカ政府は、ユダヤ系の科学者の対ドイツのための原爆開始という意向とは異なって、最初から日本で使用するつもりでいて、1945年の3月頃から原爆完成まで日本に戦争を続けさせるために、日本の戦争能力を残す方針で攻撃していた。そして、ウラン原爆を広島に、プルトニウム原爆を長崎に落とした。さすが、先住民族「インディアン」に対する殲滅戦争を伴って「建国」されたアメリカ合衆国。

 本題はもちろん、戦後日本の核武装への取り組みについて。藤田祐幸さんが「戦後日本の核政策史」を伝える。55年には国民の3人に1人が原水爆禁止の署名に賛同した(署名数3238万)ほど国民の核への反対意識が強かった。にもかかわらず、54年に日本学術会議の「原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明」採択、55年の原子力基本法の成立、原子力委員会の発足、56年の科学技術庁の開庁と突き進み、原子力産業会議の発足で、戦前の財閥が原子力によって完全に蘇った。岸信介首相時の「核武装合憲論」は政府の統一見解とされ、現在もなお堅持されている。その中での非核三原則、そして有名無実化している「核持ち込ませず」……。テポドンをきっかけに「核武装論議の解禁」が起こり、今や自民党国会議員90人が「核武装の検討を容認」し、ミサイル防衛システム配備が始まる日本。核兵器級の高純度のプルトニウムを生み出す「もんじゅ」。

 戦中に原爆開発に係った日本の科学者たちが過去を封印したそうだ。「他の新しい兵器を作り出したいという欲求を我々科学者は抑えることは出来ない」という米科学者。そういえば、既に40年近く前であるが、大学の物理の教師が「僕も作ろうと思えば核爆弾を作れる」と自慢げに話していた。

 科学技術なんてくそ食らえだ、医療にだけ使えば良い。世界の優秀な頭脳は自然科学でなく社会科学に投入して、どうしたら戦争をしないで飢えないで人権を守って人々が共に生きていける世界を作れるか、そんな教育・研究を世界中で追及すべきだ。と私は日頃考えている。この本でも、そのことを確信した。そうは言っても我々も科学技術の学習が必要だ。核武装を防ぐための理論武装のために是非ご一読を。





● 『出版ニュース』
(2008年2月下旬号)

 北朝鮮の核実験を契機に、日本の政府や与党関係者の多くは、核兵器を作る技術水準は維持し、すぐに核武装が可能な状況にしておきたいという考えを公然と語るようになってきた。
 ところが、日本はすでに核武装の準備を始めているというのが著者らの訴えで、その物証は高速増殖炉「もんじゅ」。これは核兵器作りに必須のプルトニウム239の割合が98%という高品質の兵器級プルトニウムを生産する特殊なもので、今、「もんじゅ」はナトリウム事故後の修理等で莫大な費用がかかり、商業的には立ち行かないと判断されるなかで関係者は運転再開を強行しようとしている。その理由は兵器級プルトニウムの生産だと指摘し、日本の核武装に反論を挑んでいる。





● 『長崎平和研究所通信』44号
(2008年1月)10−11頁
 「戸田清の新刊紹介」より
 
http://todakiyosi.web.fc2.com/text/npin.html

 1995年のナトリウム漏れ事故で運転を停止し、普通の原発と比べてもあまりにも危険なために高裁が原発裁判史上初の原告勝訴判決を出さざるをえなかった(最高裁ではもちろん国の見解丸呑みの逆転判決になった)高速増殖炉もんじゅが、2008年に運転再開予定であるが、これが核兵器級プルトニウムの大量生産装置(毎年62kg)でもあることが、世間では一体どれだけきちんと理解されているのだろうか。もちろん13年間の運転停止期間に生じた思わぬ機材の劣化も心配ではあるが。もんじゅのブランケット燃料(炉心周囲の劣化ウラン)を再処理して兵器級プルトニウムを抽出するリサイクル機器試験施設(RETF)も操業見込みである。高速増殖炉は原子炉級プルトニウムを炉心に装荷して核燃料として消費し、運転に伴ってブランケットには兵器級プルトニウムを生産する装置なのであるが、藤田氏は「マネー・ロンダリング」をもじって「プルトニウム・ロンダリング」と呼んでいる。本書には付録として首相あての「もんじゅ運転再開を止める請願署名」がついている。

 本書は、物理学の槌田・藤田両氏をはじめとする著者らが、岸信介、佐藤栄作、中曽根康弘、中西輝政(京大教授)などに代表される日本の保守支配層、右翼知識人などに連綿と続く日本核武装論について、その科学技術的な意味、政治的な意味を体系的に解明した、被爆地にとどまらず日本国民必読の本である。しかもこのテーマを本格的に体系的に解明した本は本書が初めてであり、類書がないだけに貴重である。被爆地は核兵器には敏感であるが、核の民事利用(原発)の問題点については、大半の日本人の意識と変わらない。世界の原発保有国31カ国の中でウラン濃縮と再処理も行うのは核兵器保有国と日本だけであり、日本が「プルトニウム・ロンダリング」まで国策としていることに危機感を持つべきではないだろうか。また、核兵器と原発の共通の出発点であるウラン鉱山の被曝労働(人形峠ウラン鉱山でも肺ガンが多発したことはまず間違いない)や大量の核廃棄物(100万kw原発を1年間運転するためにウラン鉱山では200万トン以上のウラン残土、鉱滓が生じる)は、問題ではないのか。さらに日本最初の原発である東海1号(1966年運転開始、1998年運転終了、現在解体作業中)が兵器級プルトニウムの生産装置であり、使用済み核燃料が英国で再処理されて英米の核兵器生産に貢献した。

 岸信介内閣は1957年に「自衛のための核兵器保有は合憲」という見解を採用し、これは村山内閣を経て現在も堅持されている。また岸は1958年に「平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる」と指摘した。弟の佐藤栄作首相は1965年にラスク国務長官との会談で「中国共産党政権が核兵器を持つなら、日本も持つべきだと考えている」と述べた。佐藤内閣のもとで秘密裏に行われた核武装研究についても藤田論文は詳しく紹介している。1969年の秘密文書にある「当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないように配慮する」という文章も有名だ(123頁)。後にノーベル平和賞選考委員会は、ベトナム戦争を長引かせたキッシンジャー(1973年)、核武装論者佐藤栄作(1974年)と連続人選ミスをした。安倍晋三前首相も核武装論者であった。福田康夫首相(官房長官在職の2002年に核武装容認発言)の父である福田赳夫も1978年の首相在任当時、参議院予算委員会で「国の武装力を核兵器で装備するという決定を採択することができる」と述べた。

 本書の9頁には、「核武装の検討を容認する国会議員リスト」があり、長崎選出では自民党の谷川弥一が入っている。ちなみに、ウィキペディアの「核武装論」という項目(作成作業中)には、「主な核武装論者」として、次の名前があげられている。伊藤貫(国際政治・米国金融アナリスト)、中川八洋(筑波大学教授)、副島隆彦(常葉学園大学 教育学部特任教授)、中西輝政(京都大学大学院教授)、志方俊之(帝京大学教授、元陸将、元陸上自衛隊北部方面総監)、福田和也(慶應義塾大学教授文芸評論家)、平松茂雄(前杏林大学社会科学部教授)、西部邁(秀明大学学頭)、兵頭二十八(軍学者)、小林よしのり(漫画家)、橋下徹(弁護士)、勝谷誠彦(コラムニスト)、石原慎太郎(東京都知事)、小池百合子(衆議院議員・自民党、元防衛大臣)、高市早苗(衆議院議員・自民党)、丸川珠代(参議院議員・自民党、元テレビ朝日アナウンサー)、西村眞悟(衆議院議員・無所属)。





● 『食品と暮らしの安全』225
(2008年1月1日)

 衆参両院の現職国会議員のうち、自民・民主両党の100人以上が核武装あるいは核武装準備論者です。それだけでなく、核武装推進を言わない議員の中にも、核武装論者が少なくありません。
 「本気で核兵器をつくろうと思ったら、絶対に内緒で進める」というのが、核武装を推進しようとする人たちの考え方だからです。
 政府は、表に「原子力の平和利用」の看板を掲げ、その裏で「軍事目的」の意図を隠して、核武装の準備をしてきました。

 「核開発に反対する会」は、核武装計画が影に隠れて進行しているのに、その事実を知っている人がほとんどいないことを憂え、物理学者の槌田敦氏を代表に昨年6月に結成されました。私たちも、この会を支える中心メンバーです。
 新刊の『隠して核武装する日本』は、核武装計画の実態を知らせ、核武装を阻止するために行った講演会などの内容をまとめたもの。

 槌田氏は、高速増殖炉「もんじゅ」が、純度100%に近い軍事用プルトニウムを製造する施設を指摘し、日本はすでに高速炉の「常陽」で製造されたものとあわせ約36kgの軍事用プルトニウムを所有している事実を明らかにしています。これは原爆約20発分に相当する量です。
 「もんじゅ」は、1995年のナトリウム漏れ事故以来停止していますが、2008年10月以降に運転が再開されれば、毎年62kgの軍事用プルトニウムを製造します。

 また、放射能が人体に及ぼす影響に警鐘を鳴らし続けている藤田祐幸氏は、政府が「隠して核武装」する仕組みを整えるまでの歴史的経緯を解説しています。
 日本の核武装計画を阻止するためには、「もんじゅ」と、「もんじゅ」用再処理工場のリサイクル機器試験施設(RETF)を止めなければなりません。

 日本は、こっそりと核武装を準備しています。それを防ぐためには、まず、私たちが正しい事実を知ることです。
 ぜひ本書を読んで周りにも核武装計画の実態を広めてください。





● 『ふぇみん』
(08・3・15) 日本は日米安保による「核の傘」に依存しつつなんとか非核三原則を「国是」としてやってきた。しかし最近、北朝鮮の核問題などと絡めて、強い「核武装必要論」が台頭している。
 この本は、昨年誕生した「核開発に反対する会」が開いた講演会・討論会の内容を執筆者が再編・書き下ろしたもの。1954年、原子炉を日本でつくることを決めた予算案提出にあたって「原子兵器を理解しこれを使用する能力を持つ」ために原子炉を設置すると述べていたことや、すぐに原爆の原料となるプルトニウム239ができる高速増殖炉「もんじゅ」建設のいきさつなど、核をめぐるさまざまな歴史や現状を槌田敦・藤田祐幸・山崎久隆などの各氏が語っている。非武装を願う私たちとは正反対の、「国防のためには核武装が必要」という根強い考えが保守政治家を中心に強く受け継がれていることを痛感させられる。
 一方筆者達たちには、反原発の側に核武装への危機感が薄いとの危惧があるようだが、原発や再処理工場に反対するのはそれらが「核の貯蔵庫」だからこそだ。思いは同じはず。広くつながることが問われているのではないだろうか。(泰)







● 「核開発に反対する会 ニュース」No.11

 「隠して核武装する日本」を読んで
                                          評者=海渡 雄一
(弁護士)

 槌田敦氏らが書かれた「隠して核武装する日本」の書評をたんぽぽ舎の柳田さんから依頼され、一読させていただいた。

 本書はもんじゅ原告団の中心メンバーであった中嶌哲演氏が序を書かれているほか、物理学者の槌田敦氏の表題に関連した基調的論文が3本、藤田祐幸氏の「戦後日本の核政策史」、その他渡辺寿子氏、井上澄夫氏、山崎久隆氏、原田裕史氏、望月彰氏、柳田真氏らの関連論考を一冊に編んだものである。また、本書の冒頭には核武装を容認する国会議員が90人にも及んでいることが具体的な議員のリストともに採録されている。このような事態は北朝鮮による核実験などをきっかけとする国民世論の対外的な硬直化を背景とするものであるが、きわめて憂慮すべき状況であることは疑いがない。

 また、日本政府が国会答弁において「日本国憲法は自衛のための必要最小限度を超えない範囲にとどまる限り、核兵器、通常兵器を問わず保有を禁ずるものではない」と説明してきたことも事実である。非核三原則は政策指針であり、法的な拘束力はないのである。

 本書の最も重要な主張は日本政府が隠れて核武装の計画を推し進めているとする槌田氏の主張であると考えられるので、この点に的を絞って検討することとしたい。

 槌田氏の主張は、アメリカ政府は1970年代までは日本の核開発を一貫して妨害してきたが、1980年代のレーガン政権以降方針を変更して常陽ともんじゅのブランケット燃料から軍用プルトニウムを抽出することのできる特殊再処理工場(RETF)の建設を認めた。それは、中国の核が強大となり、小型化、多弾頭化が進んだので、米中の核戦争となった場合にアメリカが核攻撃を受けるおそれがあり、日本を限定的に核武装させることで、そのおそれを避けることができるとされている(20−21頁)。

 このRETF計画は1995年のもんじゅナトリウム漏れ事故、1995年の東海再処理工場の火災事故のために建設が中断されてきた。しかし、槌田氏は、2008年にも予定されているもんじゅの運転再開が実現すれば、ほぼ完成しているRETFも完成運転にこぎ着け、軍用プルトニウムの抽出ができることとなるだろうというのである(22−23頁)。

 もんじゅが正常に運転されれば、濃縮率98パーセントの軍用プルトニウムが毎年62キログラムも生産できるという。そして、もんじゅは発電を目的とするように偽装されているが、実はこのような軍用プルトニウムを製造することが目的であるとしているのである。

 私は、現在の日本政府の具体的な高官が、近い時期に核武装を計画しているという証拠はないと思う。少なくとも、本書にもそのような具体的な証拠は示されていない。しかし、槌田氏の指摘は重要である。

 発電用としてはほとんど意味をなさない「もんじゅ」が、なぜプロジェクトとして息の根を止められることなく継続しているのか、そこには発電用原子炉とは異なる目的があるのではないかと疑うに足りる十分な根拠はある。

 また、RETFなどという、およそエネルギー政策としては意味のない施設が、なぜ多額の国家予算をつぎ込んで建設されようとしているのかについても、納得のできる説明はなされていない。

 そして、日本の軍事力がプルトニウムの生産能力、核弾頭の搭載できるミサイル技術の点で、核武装の可能な段階に到達していることも否定できない。昨秋まで政権の座にあった安倍晋三氏や次の政権をねらっているとされる麻生太郎氏らがかねてからの核武装論者であることも隠れのない事実である。本書に収められたリストによれば、野党の中心をなす民主党の中にも13人もの核武装論者が含まれているという。最近では核武装をテレビで支持していた橋下弁護士が大阪府知事選挙に圧勝するというゆゆしき事態となっている。

 だから、私には槌田氏の指摘する日本核武装論には根拠がないとして切り捨てる自信はない。すくなくとも、日本の核武装の野望が現実の政権内部にあり、その計画が現実に進められているかどうかにかかわらず、その時点の政府高官が核武装をしようとすればそれを可能とする事態を招かないように、その技術的な前提となるもんじゅの運転再開をなんとしても食い止め、また、不必要なRETFの完成運転を食い止めなければならないと考えるものである。

 最後に、日本の核武装に警鐘を鳴らす本書を書かれた中心的な論客である槌田氏の議論の建て方について一つだけ注文を呈しておきたい。日本の核武装計画について警鐘を鳴らし続けてこられた氏に対して深く敬意を表するものであるが、氏がこの問題で議論をされるときに、原水禁や原水協、原子力資料情報室などの中にあって、反原発や核廃絶の活動に取り組んでいる私たちの仲間の具体的な名を上げ、これらの人々が「日本の核武装計画」の存在を認めないのはけしからんという、非難の言葉を書かれていることは誠に残念である。いまもって、日本政府の核武装計画なるものは確証はされていないのであり、本書においてもその動かぬ証拠が示されているとも言えない。しかし、もんじゅやRETFが将来の日本の核武装につながりかねない危険な施設であることについては、反原発運動や反核兵器運動の中で広く共通認識が得られていることと思う。また、最近の日本の政界の中に核武装を唱える人々が増えてきていることを憂慮する気持ちも共通であろう。だとすれば、いたずらに運動内部での非難中傷をするのではなく、むしろ、これらの人々と共に手を携えて、もんじゅの運転再開の阻止、RETFの完成運転の阻止のための大きな運動を作って頂きたいと願うものである。






● 人民新報・第1238号
(2008年2月15日)
 図書紹介 『隠して核武装する日本』
 
http://www.rousyadou.org/1238.htm

 極右勢力が中枢を形成した改憲安倍内閣は、同時に核武装(核兵器保有・使用)への志向を強くもった政権でもあった。安倍の無様な自滅によって、福田「低姿勢」内閣が登場となったはいえ、日本支配層の一部にある根強い核武装への野望が消え去ったりしたわけではない。

 『隠して核武装する日本』は、核武装化への危険な動きを暴露し、警鐘を打ち鳴らすものだ。
 目次は、「核武装」推進議員が増加、@核武装を準備する日本―このままでは不幸な未来が予想される、A戦後日本の核政策史、B「核武装論議の解禁」が私たちに問うもの、C「核」攻撃とミサイル防衛、D「平和」のための核兵器、E東海村臨界事故と核開発―偽装された事故原因と責任を明らかにする、F日本核武装の疑惑を追う市民の活動―あとがきにかえて、となっている。

 左の表「核武装の検討を容認する国会議員リスト」(毎日新聞のアンケートによる)を見ればわかるように、自民党・民主党のかなりの国会議員の名前が挙がっている。

 槌田敦さんは、第一章で、現在進行しているのはアメリカのための日本核武装だとしてつぎのように書いている。「一九九〇年代に入って、…中国の核が脅威になってきた。そしてインド、パキスタンも核武装路線に参入した。そのようなことになると、今度は日本に対するアメリカの『核の傘』が問題になる。日本を守るためにアメリカが核を使うと、今度はアメリカが核攻撃される。そこで、アメリカは核の傘を外し、日本に核武装させ、自衛させたほうがアメリカにとって安全ということになる。この動きはすでに始まっている。親米・国粋主義者の中西輝政京大教授はアメリカに代わって日本が核武装すべきと提案している。」

 そして、「補論2 中西輝政の核武装論―日本の『右翼』はどのような軍国日本を考えているのか」でとくに中西の論を取り上げている。中西の主張は核武装論者の代表的なものであり、それはアメリカのために日本を盾とするものだ。
 中西は「北朝鮮の核が既定路線となることで、最大の脅威にさらされるのは、日本ということになる」「日本は核武装すべき」と主張している(以下、槌田さんの引用には掲載雑誌が記されているが略)。

 「中西氏は言う。『北朝鮮は、二〇〇六年七月五日、テポドン2を含む七基のミサイルを日本海に向けて発射した。テポドン2は射程距離が長く、アラスカからさらにはアメリカ西海岸にまで到達可能とされる。そうなったときに、アメリカが果たして、自国民を犠牲にしてまで、日本人を守ってくれるだろうか』。つまり、アメリカによる核の傘の信頼性への疑問から彼の議論は始まる。そして、在日アメリカ海兵隊が、沖縄からグアムヘ移転することを例にして、『アメリカは、日本の核戦争に巻き込まれる危険を感じ、逃げ腰になり始めている』と言う。どちらもそのとおりである。そこで、『ならば日本は、米国が逃げられないように縛りつける努力をしなければならない。現時点で、日本が北朝鮮の核に対抗し得る唯一の方法は、アメリカの核を在日アメリカ軍に配備することである』と言う。しかし、日本の核戦争から逃げたがっているアメリカがそのようなことをする訳がない。これについては、『アメリカがそれを拒むならば、(中略)日米同盟の範囲内で、核保有を検討する選択肢しかない』と短絡することになる。これはきわめて問題が大きい。この方法を使えば、アメリカは日本の核の使用を支配できる。しかも核を使ったことの責任を日本が負うことになるので、アメリカ本土への攻撃を免れることができる。要するに、これによってアメリカは、アメリカのために、日本に核武装をさせることができるのである。このように、中西氏は、日本の運命をアメリカに売ることを提案している。このような行為をする者を昔は『売国奴』と言った。日本の右翼もだらしなくなったものだ。」

 これが右翼の核武装論の方向であるが、では、日本にその条件はあるのか。中西は「ある」という。まず、発電用の核燃料を核弾頭用に高濃縮しなければならなが、それは高速炉を使えば可能で、「もんじゅ」(福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉)は事故を起こし現在は停止中だが今年二〇〇八年に運転再開強行の予定である。「しかし、核弾頭が製造できたとしても、それだけでは核武装とは言えないとし、ミサイル、潜水艦、サイロなど実戦配備する予算などが必要だという。その通りである。これについては『最低でも一〇年はかかる』としている。したがって、もんじゅが運転を再開して軍用プルトニウムの供給が開始されれば、技術的には一〇年で日本の核武装は完成する。日本の核武装の準備はそこまできているのである」。

 以上が、一〇年以内に核武装するという中西輝政の核武装論のスケジュールある。
 この核武装した日本をアメリカは縛り付ける体制も強化しようとしていると槌田さんは強調している。

 「しかし、これ(日本に核武装を許すこと)には裏があることについては隠している。たとえば、アメリカは、極東軍の司令部をワシントン州から日本の神奈川県座間に二〇〇八年九月までに移転する計画であるが、これは日本の裏切りを監視する措置であることについて、何も述べていない」。

 中西らの核武装論は、日本の右翼勢力による、日本とアジアの民衆を犠牲にした、アメリカ(そしてそれに従属する日本支配層)のためのものなのである。

 槌田さんは、日米同盟の強化と日本の核武装は、アジアとくに日中間の緊張激化・戦争をもたらすものとなるとして、「これを防ぐ唯一の方法は、中西氏の結論とは違って、日本が核兵器を持たないことである」と日本核武装の阻止の大衆運動を呼びかけている。







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